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私とコンピュータ その9
ワープロの他、図形や表計算などのアプリケーションも導入され、マウスを使った
シェルプログラムもあり、徐々にDOSを覚え始めた。技術計算も、DOS上のBA
SICに移植され始めた。DOSについては市販されている解説本等を読んで独学し
たのだが、やはりメインはワープロを使う事であったためいくつかのコマンドを覚え
たに過ぎなかった。表計算については、ごく一部の人間が使ってはいたが一般的では
なかったようだ。今考えてみると実にもったいない使い方をしていたものである。残
業するのが当たり前のその頃、特に業務命令でもない限り新しいソフトを覚えるのは
大変だったのだろう。ぜひ使わねばならないのは技術計算とワープロだけだったのだ。
ワープロですら、無理に使う必要は無く、手書きの書類がまかり通っていた。
私個人としては相変わらずポケコンユーザーだった。ゲームもあることはあったの
だろうが、やはりパソコンというのは業務用と考えていて、自分で買うなどとは夢に
も思わなかった。その頃ポケコンにはレベルコンバーターという、CMOSレベルか
らRS−232Cレベルに電圧を変換するアダプターが出され、これを使って会社の
パソコンにつないでプログラムを送ってみたりした。初めての「通信」であるが、た
だつながって喜んでいたに過ぎず、活用する事はなかった。ポケコンのマシン語につ
いては内部ルーチンを使うと便利だという事が分かり始めたが、それで四則の計算を
させるプログラムを作ってみて、やはり実用には無理な事を知った。
今思うと、実際に通信をしている人間もいたようである。画面上のカーソルを追い
かける猫が常駐するものが、会社の98上でも動いていた。しかし、当時はそれがネッ
トワーク上で流通しているとも知らなかったし、パソコンによる通信の存在は知って
いても、大学等の大型コンピュータにつなげて巨大なデータベースを検索したりする
ものという認識しかなかった。大型コンピュータが苦手の私が、それに興味を示さな
かったのは言うまでもない。その頃はコンピュータ関係の雑誌もほとんど読まなくな
り、その手の世界を知る術は無かったのである。
以降、昭和63年8月に退職して八戸に帰るまではこんな状態だった。ポケコンは
1261を新たに購入していたが、これは妻が職場でちょっとした計算をする必要が
あって便利そうなのを買ったのであり、コンピュータ環境としては進歩した訳ではな
かった。また、水没した1251であるが、これがある時よみがえったのである。こ
ちらはマシン語のプログラムが多く発表されていたこともあり、いろいろ入力して遊
んでいた(現在も稼働中)。
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