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私とコンピュータ その10



 昭和63年8月、八戸で就職した会社は、コンピュータ等は無く、かなり旧式の単 漢字変換のワープロと、もう少しマシなワープロが一つづつある程度だった。一太郎+ RAMディスクの環境を知っている私にはどちらもため息が出るような代物だったが、 しようがないので最低限の使い方を覚えて使っていた。また、相変わらず個人的にパ ソコンなど買う気が無かった。そのまま何も無ければ未だにパソコンを買わずにいた かもしれないが、ちょっとした環境の変化で買う事になったのだった。

 八戸に帰って半年もしないうちに東京へ出張する話があり、私がそれに選ばれた。 半年程の仕事で、江戸川区にアパートを借りて生活する事となった。妻は週数度、助 産婦のパートをしていたが、その後私の職場で人手が足りない事もあって手伝っても らうことにした。手伝って貰うといっても電話の応対程度なのだが、外に出ている私 に常に連絡が取れないと困るので非常に助かるのだ。私としては助かったが、妻はか なり暇を持て余していたようだ。

 その頃、五反田のソフト会社に勤めていた高校時代 の同級生が、会社の古いパソコンを買わないかという話を持ってきた。暇だった妻は それに乗り気で、私としてもパソコンがあれば仕事に便利と考え、購入を決めた。N ECの9801mだった。本体とディスプレイだけだったので、別にプリンタを買わ ねばならなかった。情報を得るためにアスキーという月刊誌を買って機種や相場を調 べ、蒲田のフリータイムという店でNM−9950−2というカラープリンタを買っ た。仕事に使うつもりだったので、136桁が必要だったのだ。カラーは必要無かっ たが、値引き率が良かったために決定した。こうして、ついに私はパソコンユーザー になった。当初は一太郎と1−2−3だけだったが、元々ワープロと表計算ができれ ば十分と考えていたので、それ以上のものを買う気はなかった。



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