精神的まちづくり

〜「環境」勉強会に関して〜



 八戸ではかつて安藤昌益に注目したことがあったはずだが、ここに既にエコロジーの思想があった。昌益の場合は、徹底した平等の思想と完全な自給自足が訴えられている。それが達成できれば、完全にエコロジーで永続可能な社会がつくられたと言えるわけである。さて、では我々がそれを達成しようとしたら、どのようなことが障害になり、またその障害をいかにしたらクリアできるのだろうか。

 まず徹底した平等の考え方。これは、昌益によれば全ての人間が自ら食べる物を自ら生産すれば良いということだが、どうしても共同生活には役割分担というものが発生するし、その方が効率が良い場合もある。バランス的に見てある程度まで分業制をしいた自給社会を考える方が実際的であろう。そういう社会を想定した中で、では、徹底した平等があり得るだろうか。社会の中で最も小さな単位である家族に着目してみよう。親と子というのは最初から年齢差もあり、一方が他方に育てられるという関係から立場が全くちがうわけで、これは互いに相手の人格を尊重するということで平等を考えるしか無いし、逆に考え易い。しかし夫婦を考えると、これは意外に平等には成りにくいものである。共同生活の中で分業している筈なのに、男の方が食わせてやっていると主張し立場を上にしようとしたがるのは、通常見られるものだが非常に滑稽である。これは男の側の精神的成長に期待するしかないが、この点に現状で気がついている人々はかなりなマイノリティーであろう。とりあえずこの部分を乗り越えたとすれば、あとは目標とする社会自体は同じような分業制で成り立つ筈なので、社会全体は平等という意識を維持できることだろう。問題は、自由主義経済のような競争社会では、平等は保ちづらいということである。

 次に完全な自給自足の社会である。先に記したように昌益の思想では個々が自給自足をするというものであるが、やはり実際には共同体的なものが必要になろう。その場合、地理的・気候的条件など加味した上で、例えば南部地区でどの程度の集落を形成すれば自給自足でエコロジーな社会をつくることが出来るだろうか。勿論、まず自給自足の社会が必要であるという意識が広がる必要がある。より多くの人々が永続的社会を求めて自給自足を始めようという考え方が重要であり、我々はその思想の布教活動に邁進せねばならないだろう。



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